「老い」との対面ってどんな感じ?

私のお仕事は
高齢者宅にお弁当を運ぶ
といったモノなのですが

どちらかというと
本人が利用を
希望するよりも、

家族とか、周りの人に
勧められて

利用される方が
多いです。

その為か、

オレはいらね~って
言ってるんだ! 帰れ!

みたいな具合に
あしらわれることが
たまにあります。

家族や
周りの方からすると、

元気にしているか
気になるし、

栄養を考えた
食事が取れているか
心配なので、

お弁当を
利用してもらいたい
って思うのですが、

本人にとっては、
余計なお世話なのです。

そんなサービスを
使わなくても

自分はしっかりと
生活をしていける

といったプライドが
あるのだと思います。

おそらく
若くて元気な時には、

バリバリ働き、
若い人たちを
引っ張っていくような
人物だったのかも
しれません。

ほとんどが
穏やかで優しい
お客様ばかり
なのですが、

一定数、このような
タイプの方がいます。

「老い」に抗って
最後まで戦う

って見ると、
少しカッコイイ
一面でもあるかも
しれませんが、

端からみると、
どうしても

頑固モノ」って
思ってしまいます。




以前、「ツナグ
という映画を観た時に、

ラストくらいで
語られていたのですが

こんな「」があります。


この世の最上のわざは何?

楽しい心で歳をとり、

働きたいけれども休み、

しゃべりたいけれども黙り、

失望しそうなときに希望し、

従順に、平静に、
おのれの十字架をになう。


若者が元気いっぱいで
神の道を歩むのを見ても、
ねたまず、

人のために働くよりも、
謙虚に人の世話になり、

弱って、もはや
人のために役だたずとも、

親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物、

古びた心に、
これで最後のみがきをかける。

まことのふるさとへ
行くために。




ラストシーンで、
この詩を樹木希林さんが
語るのですが、

老い」を
迎えた方の心境を

見事に表現されて
いるようで、

思わず目頭が熱く
なりました。

自由が、だんだん
利かなくなっていく

そんな自分を受け入れ、
いつも穏やかでいる。

言葉にすると、
カンタンそうに
見えてしまいますが、

自分がその状況に
置かれるまで、

ソレがどれほど
困難な事なのか

理解することは
できないでしょう。

そう考えると、

人の世話に
なる気はない!

って、

最後まで「老い」に
抵抗する気持ちも、
わからなくもない。

しかし、自分が老いて、
誰かの世話になるときが
きたら、

できれば穏やかに
ありがとう」って
言えるようでありたいです。


そんな事を
考えていたら

頑固モノの
おじいちゃんも
いますが、

みんな、それぞれ
「老い」と向き合って
いるんだなって

そんな事を感じました。

だから今日も、
穏やかな気持ちで

私のまだ知らない
境遇で過ごしている

おじいちゃん、
おばあちゃんたちに、

お食事を
お届けしようと
思います。



それでは、さよ~なら。